21話)



 河田の家に戻った茉莉は、歩にカマをかけてみようと思った。
 謎のままでは、これ以上耐えられないと思ったからだ。
 彼の書斎をノックして
「どうぞ。」
 と返事の声を聞いてから扉を開けると、歩は会社の仕事を家に持ち帰ってまでしていたようだ。
 忙しそうに、何か書きものをしていて、顔も上げない。
 入ってきた者が、何も言わずに突っ立っているものだから、おかしいと思ったようだ。ふいに顔をあげて茉莉の姿を認めて、軽く目を見開く。
 けれど一瞬で、氷のように冷たい瞳に変化した。
 河田茉莉に向ける瞳だ。
「・・・。」
 この冷たい瞳は、茉莉をとっさに委縮させるものだ。言葉が出ないで立ち尽くしていると、
「何か用?今晩中に仕上げなきゃいけない案件があるんで、どうでもいい話は後にしてほしいんだが・・。」
 言ってから、何か思い浮かんだらしい。あぁと小さくうめくと、
「明日のパーティの件なら田尻を通してくれ。田尻がすべてと滞りなく仕切る係だから・・。」
 一方的に言って、机に視線を戻してしまうのである。話を聞く時間もないとばかりの態度に、カマをかける所ではなかった。
 ひょっとしなくても真理と過ごしたせいで、仕事がずれ込んでしまったのか、それともいつも歩はこんな感じに、家に持ち込んでまで仕事をしているのか。
 わからなかった。
 それほど、河田歩の日常に、触れさせてもらっていないからだ。
「・・・わかったわ。」
 一言だけ言って、茉莉はスゴスゴと歩の部屋を出て行くのだった。
 自分の部屋(くどいようだが、本当は夫婦の部屋だ。)に戻って、またベットの上にパフンと横たわる。
 ガックリきていた。
「今度の日曜日。・・会うの。やめようかな・・。」
 思ったくらいだった。
 茉莉が真理だと知っていたなら、歩の態度も、ちょっとは変わってもいいはずだったからだ。
 けれどもさっきの歩の対応は、本当にいつもの茉莉に対するものだった。
(やっぱり、私だと気づいていないのかしら・・。)
 気付かれていないのなら、もう会う必要はないはずだった。
 さっさとマンションを引き払って、また別の所を借りればいい。
 そこまで思って・・・
『逢うのをやめる。』
 決意しかけて・・・茉莉の心が定まらない。
 カンに近いものが、今引っ越しするとヤバい。と訴えかけてくるからだ。
 茉莉だと気づいている可能性が、全くないといえないのが事実だし・・。
 何より、真理に向ける歩の瞳を、また見てみたいと思ってしまうのだ。
 あと少しだけでも・・。
 歩が気づいていない。という何かしらの決定的事項を、手に入れるまでは動けない。
 それを確認した後は、真理は直ちに歩の前から姿を消す
 それくらいまでだったら、歩の側にいたって構わないだろう・・・
 “高野茉莉”・・今は“河田茉莉”だが・・のプライドは、もうすでにこの段階でズタズタだった。
 いや、歩と会うのは“真理”なので、河田茉莉と関係のないことなのだが、それでも今とっている自分の行動を、冷静になって見れば見るほど、情けなくなってくるのだった。